昭和45年11月29日 特別奉修委員



 信心に素直な心というのは、地球のように言われます。その素直であるという事は、有難い事ですけれど。信心で言う素直さというのは、ただ素直というかね、従順であると言った様な事だけではないのですね。今日、佐田さんが頂いておられますように、あちらに、みごとな星野焼の壺があります、佐田さん所に。その星野焼の壺に、柳がこう入れてあって、そのそれにやっぱ新聞も一緒に。
 こう入れてあると言う様な、お知らせを頂いたと言っておられます。それを頂いて、それを思うですがね。まぁ星野焼というのは、まぁ私好みと言った様なものじゃないでしょうかね、壺というのは。だから柳という事は、素直という事でしょうけども、新聞という事ですね。というのはもう新聞というのは、それこそ三日前の、古新聞じゃないけれど。もう値打ちがないでしょう。
 ですから、新聞は新しいのが値打ちであるように、あの素直さというものにもね。日に日にさらというかね、日に日に生き生きとした。信心の喜びがあの素直ではなく、素直ではない性格の人でも、素直にならなければおられないほどしのものでなからなければ、あの信心で言う素直と言う事ではない。生まれつき素直という人もおりますからね。そういうものでは決してないと言う事。
 矢張りその新聞とおんなじで、日に日に新らなでなからなきゃ値打ちがない。と言う事だと私は思わせて頂いたんですけどね。中々とにかく素直にならにゃ、素直にならにゃと言うだけじゃなくて。それが矢張り信心の生き生きとした喜びが、そこに素直なおかげになってくるという事。私の信心のま私が素直でもないけれども、素直と言うなら、星野焼のその壺じゃないけれども。
 星野焼というのは、窯がなくて非常に、希少価値が出てる訳ですね。だから合楽の信心の希少価値というのは、やはり素直だというだけ素直なだけではなくて、それよりさらなものがあるという事だと思うですよね。皆さんの信心の上にもやっぱ一段と、それが望まれる事だと思うですね。
     どうぞ。